ストーリー
書いているのは、ほぼ自分が体験したことや、出会った人々とのエピソードがベースになっています。
しかし、すべてノンフィクションというのは、あまりよくないかもしれません。
たとえば、赤い服を着ていたけど、ピンクの服を着ていたと書いたり、町の名前だって架空です。
川だったか、ただのどぶ(下水路)だったか、よく覚えていないところは、その時、私が認識していた形で書いてます。
ある老人は、まだ50代だったかもしれない。しかし、子供の私の記憶がベースの物語なら70歳に見えていたからそういう印象で書いていたりします。これが、完全なるノンフィクションなら、50歳と70歳では、特に昭和の昔では、かなり違います。そうなってくると、読み手の印象は少し変わってくるかもしれません。
すごく暑い日で、ノースリーブを着ていたころだったから、真夏を表現していたけど、実際は、梅雨のムシムシしたある暑い日だったかもしれません。
そんなふうに、少しずつ違っています。
でも、それはそれでいいんじゃないでしょうか。
登場人物の8割は、もうお亡くなりになっている人といってもいいくらい、あるいは、その後、二度と何十年も消息をも知らない人たちです。プライバシーの侵害や人権を阻害するような形のお話は登場しません。私は、登場人物を、すべて「命」として扱っています。しかし、その子供さんや親族がいらっしゃったりします。登場人物のモデルのご家族などで、ご存命の方も、当然、いらっしゃるでしょう。
だから、わたしは、そのように曖昧な記憶の部分もあるので、「子供の目線と子供の記憶をもとに、つなぎ合わせたフィクション」ですということで、著書を世に出したいのです。
残しておきたい、残しておくべき、大切なメッセージと記憶が詰まっています。私の生きてきた記憶の総まとめと、かかわってきた人たちへの鎮魂と、感謝と、祈り、そして、いずれ私自身が旅立つとき、残していく者たちや、まだ幼い若い親族たちへの遠い記憶のメッセージともいえる著書もあります。
私のストーリー
・きんもくせいが香る頃
・さっちゃんが来た!
・バーバー田中のせっちゃん
・ゆりちゃんのアルバム
ここまでが、書き終えたものと、ほぼ書き終えつつあるものです。
ほかにも、あらすじができているもの、頭の中でざっくりとまとめつつあるストーリーがあります。
たぶん、一部分以外は、ほぼ全部、どこか懐かしく、切なく、あったかい気持ちで読めるものです。
モチーフ的に、ストーリーの背景的に批判したい人はたくさんいるでしょうが、
あくまでも、過ぎし日の遠い命たちのソナタのような小説として読んでほしいと願っています。