「少年兵に志願した父」イラストを描いて頂きました

私の作品の一部のストーリーにイラストを描いて頂きました

イラストレーターさんんが、とてもよくその場面のイメージを描いてくれたので、ブログで使わせていただくことにしました。素敵なイラストをありがとうございました。

私の作品の第一章の中に出てくる場面です。

父は、16歳で少年兵として満州に渡りました。少年兵なので前線で戦ったわけではなく、雪の中、門番をしたり、上官の使い走りをしたり、線路の工事をしたりと、なんでもやらされたという話ですが、最後は戦車部隊だったようです。戦車の中の様子などを聴いたことがあります。戦車に轢かれそうになった話もしていました。しかし、戦車に実践で乗ることはなく、まもなく終戦と聞いています。

少年兵としての日々については、かなり多くのリアルな話を聴いています。これは、いつか別口で、一冊にまとめたいと思っています。父は思春期がはじまってまもなく出征し、青春の多感な日々を、毎日上官に殴られながら、異国の地(当時は日本ではありましたが)満州で過ごしたのです。

帰還兵として舞鶴に降り立つまで、船は一か月以上、日本海を旋回しつづけていたようです。ロシアに連れていかれるのかもしれないとさえ考えていたようですが、それもまた仕方がないと考えていたようです。

「日本が見えたぞ」という声にも、甲板にあがって確認する気すら起きなかったといってました。

 

志願して少年兵になった父の思い

志願兵として応募したと言ってました。日本はどうなるかわからない、負けるわけにはいかないと思うと、いてもたってもいられない気持ちになったそうです。

その理由は、「俺が守る」という、子供ながらに家族を守りたいという気持ちだったそうです。新聞などでは優勢の話ばかりが流れてくるけど、どうも他から耳に入ってくる話は、戦況が思わしくないという話ばかり。このままではロシアに侵攻されると思ったそうです。当時の父は、中国よりむしろロシアを脅威と考えていた節があります。

ロシアが上陸したら大変なことになると、家族も姉も村の人達も大変な目に遭うと、少年兵に自ら志願したそうです。

当時の少年兵は、そういう子が多かったそうです。

【あの戦争についての私の思い】

今の正義と常識で、当時を断罪する気はありません。

当時は、今の社会とはまったく違います。私が育った昭和の戦後の時代だって、平成からはまったく違う価値観と風潮、社会の雰囲気だと思っています。

だから、私は、戦争に行った兵士たちの誰をも攻める気はありません。どんな立場で戦場に行った人であってもです。そして、戦犯探しをする気もありません。みんな、あの時代を必死に生きて、必死に大切なものを守ろうとしていたことだけは、確かなことなのです。

理屈だけでは、世の中は動いていきません。

なぜなら、人間だから。機械じゃないから。

今の常識や価値観で、当時の人たち、そしてあの時代の人たちを責めるのは、あまりにも酷であり無情だと考えます。

私は、ただ、祈るだけです。

戦争の犠牲者や、あの時代を必死に生き抜いてきた人たちがいたから、私がいまここに生きています。この恵まれた国に生きています。

日々の不満や不都合は色々あれど、世界には様々な国や地域、様々な暮らしや生き方をしている人々がいます。日本は恵まれた国です。今、日本人として日本に生まれ生きていることに、日本を作ってきた人たちへの感謝を込めて。

サイト https://h-momo.com
投稿を作成しました 12

関連投稿

検索語を上に入力し、 Enter キーを押して検索します。キャンセルするには ESC を押してください。

トップに戻る