【昭和のお話】編集ソフトの練習【ポッドキャスト配信中】

ポッドキャスト配信した音声を動画にしました。

この動画内容と関連した記事

動画はPCで編集しています。

初めて動画を編集したのは、Windowsにパックされてたムービーメーカーです。

ユーチューブチャンネルを開設してから、モバイル用動画編集アプリを使い始めました。

スマホでは完全に、目が無理です。

タブレットで動画編集アプリを使用していました。

しかし、今ではタブレットも目がきつくなってきて、動画編集はとても無理になってきました。

しばらく使わなかった、PC用映像編集ソフトを使い始めました。

だいぶ、目は楽になりました。

あらためて、動画編集ソフトの様々な機能をチェック!

色々、使ってみて実験的な動画も作ってみようと思っています。

 

 

一番の課題は、音声の調節です。

音量調節が、どうもうまくいきません。耳が遠くなっている気がします。

動画を視聴してくださってる方の聴こえ方と、私の耳での聴こえ方では音量が違う気がします。

どんどん、衰えてきています。

目や耳だけではありません。

ブラインドタッチも、最近は、指が重い気がします。

まだ、問題なく、サクサクとキーボードをたたくことはできますが、以前より誤打が多い気がします。

 

時間がないんだな

 

と、つくづく感じています。

 

今、住んでいる家に引っ越してきて10年になりますが、あっという間でした。

しかし、つぎの10年、私は生きているかどうか……。

たぶん、生きていないだろうと思います。

5年ってあっという間ですよね?

あと、5年も生きるかな?

 

そういう体調です。

 

今年は、どんどん発信していこうと思います。

 

湖畔の銃声と住職との交流

動画を更新【イラストができてきましたので・・・】

とても、素敵なイラストで気に入ってます。まだ出版前でしたが、しばらくの間、サムネイルに使わせてもらうことにしました。三人のシルエット、立ち位置、湖畔の先に、しらじらと夜が明け始め、水面に映るオレンジ色の空。

終戦から3~4年目のある明け方。ここいらへんから、本物の修羅の道を歩み始めます。

とても、抒情的な絵です。

自分が執筆した内容に出てくる、彼らの会話や、父を取り巻く当時の環境、人間模様、心情……。

執筆した私が見ても、すべてが、この絵から感じられます。

※ちなみに、この絵を希望して説明をするときに、私が描いたイラストは一番下にある下手なものです。

カテゴリー的に、敬遠されがちなチャンネルです。

それは、Vシネマ好きな方にとっては、まったく期待外れ。

そういう映画は好みじゃない、そういう人たちは(私も含め)、関わりたくない人にとっては、内容は関係なく、すでに、そのカテゴライズの存在そのもの、避けていきます。

このブログと連携している、日常のなにげない思考を時々書いているブログも、私の素性を書いて以後は、フォロアーさんもまったく、近寄らなくなりました。

これが現実です。

いずれ、ご紹介しますが、

「私は、やくざじゃない!」と、小学生の頃、取っ組み合いのけんかをしたことがあります。

私は、そういういじめには、メソメソしませんでした。

そのエピソードは、またいつか。

YouTube動画に出てくるお寺の住職とのエピソードは、こちらの記事で触れています。

 

動画をブログ内限定公開にしようか(まだ、迷っていますが)

ブログでは、解説も少しだけ書いて、アップしています。

そもそも、アクセス数もないので、ブログを読んで下さってる方たちが、

見てくれたほうがいいかもと思い始めています。

ふと、何かに守られている気がして感謝することがある

親戚には代々お寺の住職という家がある

 

もう長い年月が過ぎ、ほとんど縁は切れている。

私のかつての御仲人さんであり、ある寺の住職だったその人は、現在、某本山のトップ。この家からトップが出たのは、これで二人目。この人の父がやはり同じ本山のトップだったはず。

そして、我が父の名前は、私の仲人をしてくれたこのトップさんの御祖である当時の住職が名付け親。

父は寂しくなると、この寺まで薄暗い田んぼ道山道を抜けて、数十キロもの距離を住職に会いにいっていた。若干9~10歳くらいのこと。

寂しくて、「みんなと一緒に母屋に寝たい」と言っても、住職は、一度もそれを許さなかったという。

 

そして、いつも諭されることは同じ

「強くなれ、心が強くならないと人にやさしくはなれない、誰も守れない」

そればかり繰り返し言われたらしい。

 

父は、30キロ以上の道のりを大人の自転車をつま先でこぎ、やっとたどりついても、温かく賑やかな母屋の明かりには近づけず、本堂で、住職とふたりきりで、向き合って夕飯を食べ、説法を説かれ、ひとり、広い本堂に布団を敷いて寝かされた。

犬の遠吠えや風の音が怖くて、仏像の目が怖くて、布団をかぶって朝までトイレも我慢したこともあったと言っていたが、何度かそういう思いをして寝たのち、やがて慣れていき、薄明るい蝋燭の灯に浮かび上がる仏像の顔が、だんだん優しく見えてきたと言っていた。(父は、決して、それほど信心深くはなかったが)


※このイラストはイラストレーターから仕上がってきた画のラフ画です。
父が、寂しくて遠い道のりたどり着いた寺の絵。kindle出版する本一冊目の一場面です。

 

この某本山の現在のトップ(位の呼称は伏せます)の僧侶は、両親の葬儀と一周忌に来てくれた。自宅で行った葬儀でも、その宗派とは違う寺での法要でも、一緒に並んで登場したけど、そういうものなのだろうか。有難いといえばありがたい。

ありがたい安産のお守り

私が妊娠した時、お寺に呼ばれた。父が幼い日、ろうそくの灯にうっすら照らされた仏像のもと眠った本堂。(ただし、私は新しくなっていた部分にお邪魔したが)そこで、私は有難いお守りを頂き、ありがたい説法を説いていただいた。

そうして生まれた私の子だったが、すでに、その子はこの世にいない。

 

大切な家族たちの死とお坊さん

まもなく、怒涛の如く襲ってきた我が家の度重なる葬儀やイベントで、あっという間に20年以上の年月が過ぎた。

従兄が死んだとき、私はこの本山に電話をした。普通に「◎◎さん、いらっしゃいますか。親戚なんですけど」と。電話口に出てくださって、30分くらい、親族の現在の様子や私の暮らしなどの話をした。子供さんは元気?と聞かれ、はいと答えたが、その後2か月もしないうちに、私の子は死んだ。

この時期、パズルが埋まっていくように、我が子の死に向かって不思議なことが次々起きていた。そして、この時期は、なぜか、FBで多くのお坊さんと知り合っている。禅に興味を持つようになったのもこの頃だし、チベット仏教にも興味を持ち、チベット仏教系のものを扱っているお店で、写仏用の仏画と写経セットを購入し、写仏・写経を始めたのもこの頃だ。

まるで、我が子の死に標準を合わせたように、カチカチカチ……と、私は、多くのお坊さんたちと知り合っていくことになる。スマホの待ち受けに薬師如来像の可愛いタッチのイラストを設定したのもこの時期。

 

また、本山に電話をした図々しさ、頭が変になっていた

私はしばらくの間、精神状態がおかしかったので、我が子の死後、その某本山に、また電話をしている。

図々しいにもほどがある……が、しかし留守だった。電話口に出た人は、私の話を丁寧に聴いて、確認して、必ず伝えると言ってくださった。あの人もお坊さんだったのだろうか。話の聴き方がそのような感じだった。

当時、某本山の少し偉い立場の親戚のお坊さん(と思ってたが)に関して、私は「ひょっとしたら居留守かも」とも思った。トップになっていたとは思っていなかったが、居留守を使ったんだろうと……。

そもそも、そんな暇人じゃないだろうに、私は人を信じられなくなっていたのだ。

 

Momo(c)-寺画像ラフ
※このイラストはイラストレーターから仕上がってきた画のラフ画です。
父が、寂しくて遠い道のりたどり着いた寺の絵。kindle出版する本一冊目の一場面です。

 

しかし、昨日、偶然知った。

長電話をした時期、ダライラマが来日したり、日本は未曽有の災害に襲われた時期だった。そのお坊さんも、何かと忙しい時期だったようだ。なんと・・そんな時に、私は電話していたのだ。私はいつもタイミングが悪い。配慮が足りない。

そして、今更ながらに感謝したこと。

私は自分のお仲人だったこのお坊さんが、現在、某本山のトップになっていたことを全く知らなかった。本山の役職では上の方にいるということくらいしか知らず……。この時すでに、次期、トップになるほどのお立場にいた人だったとは、そんな偉い高僧になっていたともしらず「◎◎さんいますか?」で長電話をしてしまった。自分の悲しみ傷みだけが、私を包んでいた時期でもあった。何も誰も見えなかった。

インターネットでも、複数のSNSでお知り合いになったお坊さんと繋がっているが、私が知り合ったお坊さんには、感謝でいっぱいだ。

先日は、菩提寺の奥様がたくさんの食べきれないほどの野菜を届けてくださった(大きな大根で切り干しを作ろうと、現在、ベランダに大根を干している)。

大きな大根でした。千枚漬け、煮物、おでん、浅漬け、切り干しを作りました。
切れない包丁で切りました。スライサーもキレが悪いので、ちょっと不細工ですが煮ればおいしいです。

私は、なにかに守られているかもしれないと思うことが多い。

しかし、あえて欲を言うならば、

「どうせなら、私ではなく、我が子を守ってほしかったけど」

※現在、その本山のトップである高僧とは、まったく縁は途絶えました。それ以来、連絡をしていませんし、訪ねていったこともありませんので、念のため。