集中力がない
忘れやすい
興味の薄れ
置いた場所を忘れる
部屋の鍵を忘れる
もっとあるけど……。
これらは、認知症への道が見え始めたときにあらわれる、「自分で気づく変化」らしい。だからといって、この状態を感じたら、すぐ「認知症か?」なんて疑う人は、わりと少ないかもしれない。
どの症状も、若い人だってあるし、うっかり誰でもあるようなこと。
だから厄介なんだな。
認知症と思いたくなければ、実は認知症が忍び寄っている状態でも、単なる物忘れと片づけたいところ。

でも、私は、認知症のほうが怖い。ひとり者の認知症になるくらいなら、ボケかも?と思った時点で、どうにかなったほうがずっとマシだと思っている。ボケ予告を自分で察知する方法はないかと、いつも考えている。
壁に「〇〇を3回やったら、病院で認知症検査すること」と大きく書いておくとか、それも忘れるといけないから、「ここは毎日見ること!!」とか「ここに書いてあることを毎日チェックして、指示どおりにすること」とか大きく書いて貼っておこうかとか。
「毎日一回、チェックするノート」を作っておこうかとか。認知症と診断されたら、その時点で、私は潔い道を選ぶ可能性は大きい。
初期症状は、どれも、だれにでも起こりうる「ついうっかり」とか「疲れて集中力がわかない」とか、とにかく区別がつかないことばかり。
認知症外来とかあったっけ?
祖母の認知症
祖母の変化に最初に気づいたのは私。
訪ねて行ったら、近所のおばあさんたちと縁側でお茶をしていた祖母。私を見るなり、
「どなたさんでしたっけ?」
と言った。
お茶してたおばあさんが、
「やだよ、なにいってるんだよ、ひとみちゃんだろうよ、みっちゃんの子のひとみちゃん!」
私は、その表情を見て、ドキッとした。
本当に一瞬だけど、まったく知らない赤の他人を見る目だった。本当に心から「どなたさんでしたっけ?」と言ってたのだ。
「ひとみだよ、おばあちゃん」
「ひとみ?あれぇ……だれだろ」
「あれ?みちこの子?ああそうかい」
といって、やっと私を部屋の中に入るように即した。
居間で、私にお茶を入れるころには、いつもの祖母に戻っていた。
私の娘の名前も憶えていて、話しかけていたし、私の夫の苗字も憶えていたし、私がどこに嫁いだのかも覚えていた。里帰りで帰ってきているのかと尋ねてきた。
もう、全く普通。
帰宅した、叔母(母の弟の嫁)に、一連の話をしたが、「そうかい?全然、おかしなことはないけど、あらなんだろうね~」と、「もう年取ってるから、たまにはそういうド忘れもあるんだろうねぇ~」と笑ってあしらわれた。

その一月後、「祖母は認知症になった」と連絡がきた。
夜中に、突然、トイレに行くといって起きだして廊下でうろうろしてたそうだ。
トイレに行かず、仏壇の前で、亡くなったおじいさんとどこかに出かけるんだといって、着物を脱ぎ始めたらしい。着替えをして頭の中では“生きている”夫と、ふたりで出かける妄想で動いていたのだろう。夜中であるという時間の感覚もなかったようだ。
しかし、夜が明けると、もう普通で、いつもと同じ暮らしに戻り、何事もなく月日が流れた。
時々、ごはんを食べていないといって、一日に何食も食べることがあったらしい。
あるとき、祖母は、自転車にのって畑に行くといって出かけて行ったらしい。そして、畑とはまったく逆の方向で、自転車から転倒し、骨折して入院。
年齢が行くと、寝たきりになることが一番、さまざまな老化が進むらしく、祖母は、もともと心臓肥大気味だったので、2度ほど、心筋症で救急車を呼んだことがあるが入院はしなかった。
しかし、それ以外は、明治・大正・昭和とまたいで激動の時代を生き、農家の嫁として、畑仕事をしながら舅姑につかえ、子供をおぶって野良仕事をしてきた働き者だ。骨折で寝たきりになり、認知症の症状はあっという間に進行した。体力もみるみる衰弱し半月もしないうちに死んでしまった。まだ73歳くらい。
私が、祖母に「どなたさん?」と言われた日から半年もしないうちに、あっけなく亡くなってしまった。