私はコロナより認知症が怖い

 

集中力がない

忘れやすい

興味の薄れ

置いた場所を忘れる

部屋の鍵を忘れる

もっとあるけど……。

これらは、認知症への道が見え始めたときにあらわれる、「自分で気づく変化」らしい。だからといって、この状態を感じたら、すぐ「認知症か?」なんて疑う人は、わりと少ないかもしれない。

どの症状も、若い人だってあるし、うっかり誰でもあるようなこと。

だから厄介なんだな。

認知症と思いたくなければ、実は認知症が忍び寄っている状態でも、単なる物忘れと片づけたいところ。


 

でも、私は、認知症のほうが怖い。ひとり者の認知症になるくらいなら、ボケかも?と思った時点で、どうにかなったほうがずっとマシだと思っている。ボケ予告を自分で察知する方法はないかと、いつも考えている。

壁に「〇〇を3回やったら、病院で認知症検査すること」と大きく書いておくとか、それも忘れるといけないから、「ここは毎日見ること!!」とか「ここに書いてあることを毎日チェックして、指示どおりにすること」とか大きく書いて貼っておこうかとか。

「毎日一回、チェックするノート」を作っておこうかとか。認知症と診断されたら、その時点で、私は潔い道を選ぶ可能性は大きい

 

初期症状は、どれも、だれにでも起こりうる「ついうっかり」とか「疲れて集中力がわかない」とか、とにかく区別がつかないことばかり。

認知症外来とかあったっけ?

 

祖母の認知症

祖母の変化に最初に気づいたのは私。

訪ねて行ったら、近所のおばあさんたちと縁側でお茶をしていた祖母。私を見るなり、

「どなたさんでしたっけ?」

と言った。

お茶してたおばあさんが、

「やだよ、なにいってるんだよ、ひとみちゃんだろうよ、みっちゃんの子のひとみちゃん!」

私は、その表情を見て、ドキッとした。

本当に一瞬だけど、まったく知らない赤の他人を見る目だった。本当に心から「どなたさんでしたっけ?」と言ってたのだ。

 

「ひとみだよ、おばあちゃん」

「ひとみ?あれぇ……だれだろ」

「あれ?みちこの子?ああそうかい」

といって、やっと私を部屋の中に入るように即した。

居間で、私にお茶を入れるころには、いつもの祖母に戻っていた。

私の娘の名前も憶えていて、話しかけていたし、私の夫の苗字も憶えていたし、私がどこに嫁いだのかも覚えていた。里帰りで帰ってきているのかと尋ねてきた。

もう、全く普通。

帰宅した、叔母(母の弟の嫁)に、一連の話をしたが、「そうかい?全然、おかしなことはないけど、あらなんだろうね~」と、「もう年取ってるから、たまにはそういうド忘れもあるんだろうねぇ~」と笑ってあしらわれた。

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その一月後、「祖母は認知症になった」と連絡がきた。

夜中に、突然、トイレに行くといって起きだして廊下でうろうろしてたそうだ。

トイレに行かず、仏壇の前で、亡くなったおじいさんとどこかに出かけるんだといって、着物を脱ぎ始めたらしい。着替えをして頭の中では“生きている”夫と、ふたりで出かける妄想で動いていたのだろう。夜中であるという時間の感覚もなかったようだ。

しかし、夜が明けると、もう普通で、いつもと同じ暮らしに戻り、何事もなく月日が流れた。

時々、ごはんを食べていないといって、一日に何食も食べることがあったらしい。

あるとき、祖母は、自転車にのって畑に行くといって出かけて行ったらしい。そして、畑とはまったく逆の方向で、自転車から転倒し、骨折して入院。

年齢が行くと、寝たきりになることが一番、さまざまな老化が進むらしく、祖母は、もともと心臓肥大気味だったので、2度ほど、心筋症で救急車を呼んだことがあるが入院はしなかった。

しかし、それ以外は、明治・大正・昭和とまたいで激動の時代を生き、農家の嫁として、畑仕事をしながら舅姑につかえ、子供をおぶって野良仕事をしてきた働き者だ。骨折で寝たきりになり、認知症の症状はあっという間に進行した。体力もみるみる衰弱し半月もしないうちに死んでしまった。まだ73歳くらい。

私が、祖母に「どなたさん?」と言われた日から半年もしないうちに、あっけなく亡くなってしまった。