PodcastとYouTube更新しました。

かなり久しぶりの更新

YouTubeとポッドキャストを更新しました。

Podcastは、このブログのPodcastというところをクリックすれば、バナーが貼ってあるので聴けます。

Podcastのアプリなどについては、ポッドキャストページの説明を参考にしてください。

近況を添えて・・・

この夏は、体調を崩し、数年ぶりに病院で点滴をしたり、さまざまなことがありました。体力もなかなか戻らず、夏から秋へと過ぎてしまいました。

毎年、梅雨の時期は体調を崩しますが、今年は、帯状疱疹の再発もあり、相当苦しい夏でした。

出版と挿絵のこと

挿絵が思うように進まず、なかなかうまくいかないものですね。

絵師さんが変わって、最初からやり直しにするか、タッチは違ってしまうけど、そのまま使うか、それともいっそ、絵はもう一切入れずに出版してしまおうかと、いまだに悩みながらも、イラストによい場面のチョイスなどしています。

イラストは、動画でだけ使って、出版物には入れないという方法もありますね。

少し考えます。

イラストがあったほうがイメージが湧くのかなと思ったりもしますが……。

今回の動画は、『母が亡くなった翌日』のほんのひとつまみ、断片の記憶です。

よろしければ、ご傾聴ください。

音声配信にもなれるように、少し更新をマメにしたいところです。

話が下手ですが、ご容赦ください。

入れ墨と日本刀からの思い出【動画更新】

久しぶりの動画更新です。

『入れ墨と日本刀』

相変わらず、あれもこれもと脱線しながらお話しています。
幼いころに、見慣れた多くの入れ墨の背中、腕。

入れ墨についての私の考えを少し語っています。

 

入れ墨を入れた父と、2家族の家族旅行で海水浴に行った時のお話。

私が知っているやくざの子たちは、親がいなくなったのち、どのような道を歩んでいるか。

全部、少しずつですが思い出すままに語っています。

小説の中身については、あまり語れないので、補足程度に、つまみ食い程度に語っています。

イラストが進んでいます。

小説に挿絵をいれるために、イラストレーターさんに絵を描いて頂いてます。

毎月、少しずつ、何か月もかけて、何枚も描いていただく予定です。

本の出版は、春くらいを予定しています。

絵がすべてそろって、校正最終チェックがすんだら、死苦八苦しながら自分で出版作業をします。

その前に、別の「昭和のお話」を電子出版するかもしれません。まだ未定ですが……。

書き溜めているもの、書きかけのもの、これから書く予定の案などがあります。

順次、出版していこうと考えています。

わたしにとっての「終活」でもあります。

※同じ録音ですが、ポッドキャストも更新しています。外出先でスマホで耳だけで聴けます。

ブログの一番下に、ポッドキャスト配信先の一部がリンクされています。

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他の配信先は、アンカー配信リンク先より確認してください。

appleは配信してもらえないようです💦

 

 

動画の最後は、やくざの子で、今、悩んでる子へのメッセージを入れてます。

いつも入れてます。しつこいおばさんです(笑)

「少年兵に志願した父」イラストを描いて頂きました

私の作品の一部のストーリーにイラストを描いて頂きました

イラストレーターさんんが、とてもよくその場面のイメージを描いてくれたので、ブログで使わせていただくことにしました。素敵なイラストをありがとうございました。

私の作品の第一章の中に出てくる場面です。

父は、16歳で少年兵として満州に渡りました。少年兵なので前線で戦ったわけではなく、雪の中、門番をしたり、上官の使い走りをしたり、線路の工事をしたりと、なんでもやらされたという話ですが、最後は戦車部隊だったようです。戦車の中の様子などを聴いたことがあります。戦車に轢かれそうになった話もしていました。しかし、戦車に実践で乗ることはなく、まもなく終戦と聞いています。

少年兵としての日々については、かなり多くのリアルな話を聴いています。これは、いつか別口で、一冊にまとめたいと思っています。父は思春期がはじまってまもなく出征し、青春の多感な日々を、毎日上官に殴られながら、異国の地(当時は日本ではありましたが)満州で過ごしたのです。

帰還兵として舞鶴に降り立つまで、船は一か月以上、日本海を旋回しつづけていたようです。ロシアに連れていかれるのかもしれないとさえ考えていたようですが、それもまた仕方がないと考えていたようです。

「日本が見えたぞ」という声にも、甲板にあがって確認する気すら起きなかったといってました。

 

志願して少年兵になった父の思い

志願兵として応募したと言ってました。日本はどうなるかわからない、負けるわけにはいかないと思うと、いてもたってもいられない気持ちになったそうです。

その理由は、「俺が守る」という、子供ながらに家族を守りたいという気持ちだったそうです。新聞などでは優勢の話ばかりが流れてくるけど、どうも他から耳に入ってくる話は、戦況が思わしくないという話ばかり。このままではロシアに侵攻されると思ったそうです。当時の父は、中国よりむしろロシアを脅威と考えていた節があります。

ロシアが上陸したら大変なことになると、家族も姉も村の人達も大変な目に遭うと、少年兵に自ら志願したそうです。

当時の少年兵は、そういう子が多かったそうです。

【あの戦争についての私の思い】

今の正義と常識で、当時を断罪する気はありません。

当時は、今の社会とはまったく違います。私が育った昭和の戦後の時代だって、平成からはまったく違う価値観と風潮、社会の雰囲気だと思っています。

だから、私は、戦争に行った兵士たちの誰をも攻める気はありません。どんな立場で戦場に行った人であってもです。そして、戦犯探しをする気もありません。みんな、あの時代を必死に生きて、必死に大切なものを守ろうとしていたことだけは、確かなことなのです。

理屈だけでは、世の中は動いていきません。

なぜなら、人間だから。機械じゃないから。

今の常識や価値観で、当時の人たち、そしてあの時代の人たちを責めるのは、あまりにも酷であり無情だと考えます。

私は、ただ、祈るだけです。

戦争の犠牲者や、あの時代を必死に生き抜いてきた人たちがいたから、私がいまここに生きています。この恵まれた国に生きています。

日々の不満や不都合は色々あれど、世界には様々な国や地域、様々な暮らしや生き方をしている人々がいます。日本は恵まれた国です。今、日本人として日本に生まれ生きていることに、日本を作ってきた人たちへの感謝を込めて。