ポッドキャストとYouTube更新しました。

一か月ぶりの更新です。

サブスクのソフトをやめてしまったので、新しいソフトを今日初めて使いました。

使い勝手がよく解らず、時間がかかった割には雑なつくりですが、手間取りました。

ブログで、今回のPodcastは「眼力」というテーマにしようかとお話しましたが、結局、いつものように、とりとめもなく、EPISODEをおしゃべりしています。

動画のほうが聴きやすい方は、こちらからお聴きください。

ポッドキャストのほうが聴きやすい方は、ポッドキャスト(各アプリ)で聴いてください。

 

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「昭和Story、MOMOのおしゃべりラジオ」で検索してみてください。

ポッドキャストの更新情報は、ブログのカテゴリー欄の「ポッドキャスト」のページを開くと、詳しく記載してあります。

政治と宗教の話はタブーな時代

政治と宗教はタブー

今の世相からすると、ここに触れるのは、場合によっては、ちょっと過激、あるいは、むしろ逆に少しタブーなのかもしれませんね。政治と宗教は、人間の営みの中で、深く関与している大切なものだからです。

(今回は、宗教の方に関して、かなりざっくりですが、触れてみようと思います)

日本人は無宗教

日本人は無宗教、宗教心が薄いと思う欧米人も多いそうです。神社があっても、欧米人が毎週、教会に行くように、イスラム教徒が、時間でお祈りするように、キリスト教徒が寝る前にお祈りするように、日常的に、当然のルーティーンだから神社やお寺に行くわけでもない。でも、お祭りやお正月には、大挙押し寄せる。

この感覚が、あまりよく理解できない場合があるようです。

日本のカルチャーやアニメを好きになって、今ではすっかり日本通、日本オタクと言われるほどの外国人以外は、遠い東の端にある日本について、日本人が思うほど、興味がある訳でも知っている訳でもないですね。

日本人の宗教観について、個人的な意見を述べさせてもらうとすれば、一番理想的なんじゃないかと考えています。

もっとも、最近は、新興宗教団体問題や、過去のサリン事件がらみの宗教問題などがあり、日本人の宗教へのアレルギーも出ているようなところもあるようですが……。

我が家の宗教

我が家は、禅宗、ある宗派ですが、神棚もりっぱなものがありました。

朝は、必ず、お水をあげて、榊も毎月1日と15日には替えていました。

神棚は、男性がお世話するもので、女性は不浄なもの(血のこと)とされてきた、古来からのしきたりをそのまま、守っていた家も多いのではないでしょうか。

我が家も、基本はそうしていましたが、わりとそのあたりは適当で、父が留守の場合は母が神棚のお世話をしていました。

神棚は必要か?という問題

これは、必要と言えば必要。必要ないと言えば必要ない。お仏壇に関してもそう思います。

敬う、慕う、畏敬の念、感謝……そういうものを、どのように故人や、見えないもの(神様)などに伝えるか。そういう気持ちを持つか。その「目に見える方法」に対する考え方は、だいぶ、簡略化されていく傾向にあると感じます。

簡略化しすぎず、生活に無理がない程度に……、でも、少しくらいちょっとだけムリしてでも整えることもアリだろうと思いますし、私もできればそうしたいと考えています。

ちょっとだけのムリというのは、その節目節目に、感謝の気持ち、供養の気持ちを「形であらわす行い」に対して、時間とお金を使う。しかし、そのお金は問題になった宗教団体のような考え方ではなく、お花を故人が好きだったもの(高いけど)を、ちょっと活けてあげようとか、命日、節目節目には、簡単でもいいから、お坊さんにお経を唱えてもらい、しみじみ心で語り掛けようとか。小さなことでいいんです。

しかし、そうしたくても、そこに力を注いでいられない暮らしの人(時間的にも、経済的にも)も増えてきています。

なんとも言えませんね。

やはり、心が一番大切なんじゃないでしょうか。

今の私の住まいには神棚はありません。しかし、実家には立派な神棚があります。多分、お世話してくれてることでしょう。

日本には八百万の神とお天道様がいる。

日本人は、八百万の神という考え方が自然に刷り込まれている生活を、すでに意識せずしていると思います。

ただ、ここ20年くらいは、少しずつ、薄れつつある気もしないでもないですが……。

神道も、仏教も、キリスト教も、そこまで詳しくないけれど、なんとなく良いとこ取りで信じている、無意識に縁(よすが)にしている。

というようなところがあるようにも思います。

その教えが、結局、日本人の価値観や、外国人がよく言うマナーの良さなどにつながっていているように思います。日本人の民族性は、長い年月、その都度、その時代の動きに合わせながら柔軟に、しかし、ベースはしっかり守って、受け継いできたようにも感じます。

「難しいことは解らないけど、お天道様が、見てるから」という感覚ですね。

任侠に生きる人たちは、本当はどうなの?

悪い事ばかりしていそうな、悪の権化みたいなあの連中にも、少しは、そういう気持ちあったの?

と、問われれば、

ありましたね。

確実にありました。

上の方があったので、それを下にも伝承していきますし、季節の歳時記も、とても大切にしていました。

「法律破って悪い事ばかりしてる輩が、虫のいいことを言うな」と思われるかもしれませんが、今と違って、テキ屋という商売が、大手を振って神社仏閣の参道で、屋台を開いて商いしてた時代です。

威勢のいい掛け声が響く参道で縁起物を売っていた人達も、またやくざに片足突っ込んでるような人たちでした。

季節の歳時記は、節目節目の縁起担ぎとして、あの世界でもしっかり根付いていたのです。

そうそう……、たとえば、襲名披露とか、あのスタイルも、神道をベースにしていますね。これは、日本古来の伝統的な分野での継承や、宮司・宮大工などが大切にしていた儀式。それをそのまま、行っていたと思います。

父の事務所にも、そういう一大イベントの時や新年会一同に集まるときの為に、百畳以上の通しの和室があり……(続きは、podcastで、来週お話します)

※2023年より、第一、第三の月曜日、podcast更新します。

次回のpodcastのお話の内容は、前回ブログに少し書いた「眼力」に関すること